愛はGroovy

北山くんってなんなの

ジャニーズとわたし。

 所謂ジャニ自体も新規のキスマイ担である私。5月頃にTwitterのアカウントを分け、ジャニーズ関係をつぶやく別垢を作ったのだが、如何せんタグや、愛方制度、参戦服(見るのは楽しいが)、絵文字大量ツイなどが苦手なので(そのため相互フォローはほぼいない笑)この際はてなブログに登録してみよう!と深夜の勢いで登録した。


 ジャニオタさんははてなブログをやられる方が多く、たまに見させていただいていたが皆さん素晴らしい文章なのでこんな文才のない人間が書いていいのかと不安だらけだが、勢いなので知らないふりをしておく。まあ誰の目にも触れないかもしれないのであくまで自分が後々見返して楽しむことをコンセプトに。


 まず私が初めてジャニーズに触れたのは幼稚園である。幼稚園の運動会ではV6を踊り、担任の先生はジャニオタだった。ちょうど嵐がデビューした頃だったので黒板に松潤の写真が貼ってあったのは幼いながら覚えている。

 小学校1年の時には初めてMDを親に与えられ、早速モー娘。ハム太郎の曲とともにV6の「出せない手紙」を入れた。

 それからは普通にテレビっ子として育ってきたので所謂ミーハーだった。それから時は過ぎ小学校5年である出来事が起こる。「野ブタをプロデュース」のドラマが始まったのだ。そこでKAT-TUNという存在を知り、頭の隅から亀梨くんが離れなかった。小学2年で「神木隆之介くんが隣に引っ越してきたらどうしよう♡」と妄想する人間だったので、この時はある意味リア恋に近かったのだろうと今になって思う。

 KAT-TUNがデビューし、デビュー曲を親にねだり買ってもらったが、クラスに好きな子ができたので亀梨くんへの気持ちが冷める。それから始まったのが、「花より男子リターンズ」だ。時間の関係で「花より男子」はたまにしか見ていなかったのだが、リターンズを見て花男にはまり、嵐のCDを自分で初めて買った。(道明寺語録をHPからノートに書き写し、学校で友達に見せびらかしていた)ここで少しだけ嵐にはまるが、やはりミーハーなので長くは続かない。


それから中学〜高校3年で部活を引退するまでありふれた生活を送ってきた。中学は厳しい運動部に入っていたので休みもなく、部活少女だった(テレビっ子なのは相変わらずだったが)。高校でも「好きなアーティストは?」「YUIflumpoolいきものがかりPerfumeセカオワテイラーかな」というようなよくいるJKだった。Perfumeが少しアイドルチックだが。

 高校の部活は中学ほど厳しくなかったのでそれなりに恋愛もし、友達と話すことはまず恋バナという生活を送った。行事ではクラスで団結をし、友達とときに笑い、ときに泣いた。友達の友達を含んでもジャニオタなるものがおらず、完全にジャニーズとは無縁の生活を送った。ただの青春である。


だが高校3年生の6月、部活を引退し受験に向けての生活が始まった。これがターニングポイントなのだ。

2012年の6月といえば、Kis-My-Ft2の玉森が黄金伝説で1ヶ月1万円生活をしている頃である。部活がなく早く帰ることで玉ねぎ生活をしている玉森くんに出会うことになった。


美咲ナンバーワン」をちらちら見ていたのでFIRE BEATや北山くん、藤ヶ谷くん(この頃は名前を知らないのでJr.の人と呼んでいた)は知っており、デビューしてスマスマに出た時も偶然見ていた。その頃はKis-My-Ft2か、ああ、ジャニーズね。ローラースケート、へえ〜。わりとこの人たち好きかも。くらいの気持ちだった。それからMステ出演時にはたまたまだが毎回見ており、バラエティにも「美男ですね」関係で藤ヶ谷くん玉森くんを度々見かけた。この頃の玉森くんは前髪が上がっており、おまけにあるバラエティ番組で「クールな王子様キャラ」と紹介されていたので、髪を切って私の好きな髪型になっていた藤ヶ谷くんばかり見ていたのを覚えている。それから図書館ドッキリも偶然見ておりでキスマイ面白いな〜、と思っていた。


すると、玉ねぎ生活をする天使に私は出会ってしまった。そう、それが前髪があり、色白で玉ねぎだけで生活という意味がわからないことをしている玉森裕太くんだ。番組を見るたびに彼に引き込まれていった。生活が可愛く、顔も可愛く、なんだこの生物は…!と驚愕した。ただこれだけではなく、高3になり仲良くなったクラスメイトが同じ頃にSexy Zoneにハマっていたため、私たちの話題はキスマイとセクゾで埋め尽くされていった。「CD買ったら終わり」と言っていた自分が気づけばWANNA BEEEE!!!を買っており、DVDを流しながらテレビの前でツーショットを撮り友達に送りつけるということをしていた。

 ただこの頃私は受験生だったことと、ガラケーが一般的だった世代なのでSNSをやることもなく、あ〜玉森好きだな〜というゆるっとしたファンだった。

 そもそも私は何に関しても熱しやすく冷めやすいので、これも一時的なものだろうと私を含め家族にも友達にも思われていた。

 そして2月。受験が終わりすぐにマイレジスタンスのCDを買い、スマホを買ってもらった。3月にはキスウマイとアルバムを買い、春休みは友達と遊ぶかキスマイを見るかで過ごした。Twitterにも登録し、「キスマイ」「玉森裕太」と暇なときに検索していた。そして2013年4月、地元の大学に進学した。

入学当初は新歓などいろいろ忙しくキスマイを摂取できない時期が続いた。友達はたくさんできたがここでもジャニオタに出会うことはなく(その後アラシックの友達に出会うのだが)、何か物足りなかった。そこで思い切ってファンクラブに入ったのがこの時期である。お金も時間も自由に使えるようになった。

 それから夏には学校にも慣れいろいろと落ち着き、私の住んでいる広島にキスマイがツアーでくる日になった。まずツアー発表時期にファンクラブには入っておらず申し込むことができなかった。この日以降、キスマイが広島に来ることはないので1番の後悔である。

 そんな私に朗報が。冬に東京ドームと京セラドームでコンサートをするという。念願叶って初めて生キスマイを見て、初のジャニーズのコンサートに行ったのがスノードームの約束@東京ドームだった。席はバクステ寄りの天井席だったが、「そこにいる、同じ空気を吸っている」それだけで気分は高ぶった。ジャニーズのコンサートはこんなに楽しいのか。

 コンサートが終わり、変わったことが一つあった。北山くんのうちわを買い足したのだ。玉森くんを追おうとしていたが、初めてということもあり、キスマイ7人を目に焼き付けた。その時目に入ったのが北山くんで、バラエティでは見せない歌、ダンス、振る舞いでのカッコよさを魅せられた。玉森くんもいいけど2番目は北山くん応援しよう。そう心に決めた日であった。

 また、その日からTwitterでレポが回ったり、テレビ出演情報が回ったりということに気付き、「キスマイ」と検索する頻度も増え、よりキスマイにハマっていった。四六時中頭の中はキスマイで埋め尽くされた。

 

 出演番組は全部録画、編集してダビング、ドル誌もたまに買い、コンサートのDVDも毎日のように見る。シングルは必ず複数買い。部屋にどんどんキスマイの物が増えていく。私はジャニオタだと実感し始めた。


そして時は過ぎキスマイジャーニーが始まった。大阪、福岡、東京と3公演行き、福岡で私は気づいた。「あれ?私みっくんばっかり見てる????」大喜利の際、他メンが発表している時でも、暗転している北山くんを双眼鏡で覗いていたのである。もうこれは認めよう。そう思い、東京公演では北山うちわに変更した。

 大学に入り過去のコンサートDVDを買い集め見ていると、藤北の素晴らしさに気づいた。なんだこのシンメは。この世に2人しか存在しないような世界。背中合わせの関係。2人でいれば最強であると思わせられる。「玉森担だけど藤北推し」。そう自分で思っていたのが2014年2月頃である。あくまでも玉森くんが好きなことは変えたくなかった。それから半年で私は藤北の沼、北山宏光というアイドルに堕ちた。彼の歌声を聞くとなんとも言えない気持ちになり、しゃかりきなダンス、そして何事にも熱い漢。可愛いのかと思いきや妖艶さエロさを醸し出し、カッコよくもなる。

 正直言って北山くんは私のタイプではない。私は長身で色白で爽やかで細身の男性が理想、タイプだったのだ。だけどそれを崩してまで北山くんに心を持っていかれてしまった。

 これを「担降り」というのかもしれない。だが自分には降りたという意識は全くないのだ。玉森くんのことも今でもずっと可愛い可愛いと言っているし、好きである。熱量は変わっていないはずだ。だがそれ以上に北山くんのことを好きになってしまったのである。(これがイコール担降りなのか?笑)


それから1年が過ぎ、現在に至る。



途中から「私が玉森くんから北山くんに堕ちるまで」というような話になってしまったのだが、そして3人の名前しか出していないが、私はKis-My-Ft2、7人全員を応援している。もっと言えば今ではそこからいろんなところに手を出しており他G、Jr.もゆるゆると応援している。


 ファンクラブに入って1年目はキスマイの1公演だけだったが、3年目の今ではジャニーズのコンサートや舞台に10公演は行くようになった。バイトの給料の最優先はもちろんジャニーズである。


 私のミーハー、収集癖はかつて郷ひろみのファンだった母親譲りであり、一緒にキスマイも見ている仲なのでコンサートは友達といっているが、舞台はほぼ母親と行っている。私がジャニオタになり、嵐のゆるオタだった母親も触発されるかのように嵐のファンクラブに入会。来月、初めて嵐に会いに行く。


熱しやすく冷めやすい人間だった私だが、キスマイを好きになってもう4年目である。20年の人生で、5分の1はキスマイで埋められたのは、私の中では重大事件なのだ。


うまくしめることができなかったが、このあたりで終わらせておく。ここまで読んでくれた方はいるのだろうか?もしいるなら、本当にこんなヒヨっこの書いた文章を読んでいただきありがとうございました!